グレン・グールド考

              中嶋恒雄

 18世紀フランスの哲学者であり、百科全書の編集者であったD.ディドロは、「かって賢人は、哲学者、詩人、音楽家であった。こうした才能は、分解しながら退化した」と述べたが、この言葉から私たち音楽をする者は、自分の活動を方向づける示唆を得ることができる。たとえば近年、医学などの分野でも、胃の前壁を専門にするなどのように分野は非常に細分化されているが、もう少し視野を広げて観察しなければ、治療がうまく行かないことが理解されている。そこで私たちの音楽においても、なるべく広い視野で実践することが賢人であるべき方法と、言っても良いであろうか。この賢人というものの事例や内容は、定義すれば異論続出となろうが、カナダの音楽学者ジェフリー・ペイザントは、ピアニスト、グレン・グールドをその一例として考えている。そこでここではグールドのあり様を検討しながら、賢人としての音楽家の道を探ってみよう。
 グールドについては、すでに多くが語られてきた。簡単におさらいをすれば、彼の生涯は次のようである。1932年にカナダのトロントで生まれ、1982年に50歳の若さで同地に没した。母親はピアノ教師であり、父親もアマチュアのバイオリン弾きという家庭の一人っ子として大事に育てられ、10歳でピアノ、オルガン、理論をトロントのコンセルウ゛ァトワールで学んだ。10歳になるまでにバッハの平均率1巻をすべて弾けたというから、今日の水準に照らしても十分に早熟だったと云うべきだろう。11歳のときに地元トロントのコンクールで優勝したが、このコンクールには後年名をなしたコンセルウ゛ァトワールの上級生たちも応募しており、その中で自信たっぷりの半ズボン姿の少年が優勝したのであった。しかし、これについて書かれた新聞記事には注目すべき内容がある。「大勢の若い子たちは、野心的な曲を弾いたが、グールド少年は、圧倒的な知性と責任感をもった控えめな演奏でひときわ目立った」というのである。曲目は、モーツァルトであったらしい。1945年12歳でディプロマを得てコンセルウ゛ァトワールを卒業し、19歳までピアノのレッスンを続けた。そして22歳の時にニューヨークで自前のデビューリサイタルを開催し、運良くディヌ・リパッティの他にもう一人のピアニストを探していたコロムビアのディレクターの耳にとまって、早速バッハの「ゴールドベルク変奏曲」が録音され、世界に知られるピアニストになった。しかしこの録音に始まる輝かしいコンサートピアニストとしてのキャリアを、10年後の32歳には自ら捨てて、録音や著作や放送の仕事のみで生涯を終えるように変更する。恐らくグールドがステージに出演しなくなった理由は、ステージでは聴衆の反応を意識しないわけにはいかず、無視するかおもねるか、或いは競争心に委ねるか、いずれにしても自分が自分本来ではあり難いということであったろう。彼が自分本来のままでくつろいで演奏できる場所は、少数の理解のある技術者とともに、世間から隔絶された録音室であった。グールドは演奏する目的を、自分と聴衆の双方の心に、エクスタシーを生み出すことと規定する。そしてこの演奏のためには、弾き直しや、モンタージュの可能な録音の方が、ライヴよりもずっと満足のいくものを生み出すことが出来ると考えている。彼の言うエクスタシーとは、私の理解では、自分の心が音楽と一体になって、自分が音楽の流れに乗っている、或いは、自分の心に音楽が一杯に広がるという感覚のことである。音楽は決してアクロバット的名人芸や、派手なショウマンシップを発揮する場ではないことを、私たちはみな理解している。しかしそのような名人芸もまた、私たちの官能に訴えるのも事実である。グールドが賢者である所以は、私たちの官能を痺れさす最高の伎倆を持ちながら、それを名人芸に委ねず自己抑制し、音楽の持つ構造に新しい光を当てるためにのみ、彼の伎倆を捧げたことにあるだろう。彼の演奏の映像を見ると、より小さなリズム単位でフレーズを歌いながらの恍惚とした表情が、彼が音楽に完全に没入しているのを明らかにする。右手のみで弾くときには、空いた左手が思わず動き、指揮を取る。父親手製の折り畳み椅子に低く腰掛け、ピアノには台を足の下にかって、数センチも高くしている。姿勢は前屈みで、正統的な姿勢とは言い難い。彼自身もこの姿勢では、圧倒的なフォルテは得られないと認識していたようであるが、指の動きの速さや音への没入の得易さなどの利点があるとして、改めるつもりはなかったと思う。テンポはおおむねゆっくり目で、細部まで完全に明晰である。もちろん、速いものは明晰なままに猛烈に速い。
 さて以上のようなグールドの生涯が私たちに与える教訓は、グールドがオルガンやハープシコードなど他の楽器を弾いたり、作曲や指揮、また講演や著作までもやったりしたように、出来る限り専門外の領域にまで関心を広げること、自分のありたいようにあれば、それで良いということ、周囲への意識は最小限にして、音楽の持つ感動の表現に努めることなどが、賢者への条件ということになるであろうか。しかし、グールドが良しとしたテクノロジーの進歩が、コンピュター歌手初音ミクを生み、それに聴衆が情念を昇華させている現在の状況を、グールドはどのように見るであろうか。彼が生存していたならば、案外再び、ステージに復帰したかも知れないと私には思えるのである。

音楽の世界(2013・6月号)

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