サンディエゴ日記

 2

中嶋恒雄

●教育音楽中高版(音楽之友社)昭和60.7--61.6月号より転載改訂

 私は、昭和58(1983)年度文部省在外研究員として、昭和59年3月21日より昭和60年1月20日まで、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校にヴィジティング・スカラーの資格において8ヶ月在籍し、その後、ウィーン、ローマ、パリに短期間滞在した。本稿は、その期間における私的な記録の抜粋である。

バヒヤ・ホテルのジャムセッション

トロンボーン:ジミー・チータム

バヒヤ・ホテルのジャムセッション

ピアノ:ジェニー・チータム

チータム夫妻と中嶋

4月7日

■学位取得リサイタル

 少しずつ大学の様子が分かってくる。アパートでの一人暮らしも、どうやら軌道にのってきた。去る四日にタダ氏の紹介で日本人ディーラーからリースしたダットサンは、快調そのものである。多少のトラブルは起るとしても(補助ライトの消灯を忘れて、バッテリーを上げてしまうなど)、米人の親切に助けられつつ、カリフォルニアの真青な空の下での生活をエンジョイしている。今日は健康のために、アパートのプールでひと泳ぎした。

 さて今夕,音楽科に隣接するマンデビル・ホールで、大学院博士課程に在学するJ.フォルダー氏の作品発表会が行われた。今帰ったところ。たぶんこの発表会は、学位(Phd)取得のための必須課目なのだろう。音楽科教員が総出で応援している。しかし、何と陽気な雰囲気をもっていることか。教員、学生が揃いの黄色いトレーニングシャツを着て、背にはボス・ロジャー(レイノルズ教授のこと)のように、めいめいが面白おかしく名前をプリントしている。客席で聴いている教授連もみんな夫人同伴である。会終了後、ホールに隣接する部屋で、にぎやかに立食パーティが開かれた。フォルダー氏の作品は5曲。5曲ともそれぞれに異なったスタイルをもち、多様なスタイルを表現しようとする意図が明瞭である。第1の曲は、ジャズの様式によるピアノ・ソロ。しかし演奏者ライトル助教授の技術がたいしたものではなく、退屈する。2曲目は打楽器ソロ。これは様々な打楽器を駆使するけんらんたるもの。現代前衛作曲家たちの水準に達する書法をもっている。3曲目は『目の音楽』というタイトルを持つが、テレビでビオラ・ソロを映写するのみで,特記すべきものはない。4局目は大変にコミカルなシアター・ピース。声楽講師、トランペット助教授の演奏も熱演で、満場を沸かせた。しかし作品の出来としては構成が甘く、同系列の作品である日本の松平頼暁の『What's next?』と比べても、ずっと聴き劣りがする。最後は大編成のジャズ・アンサンブルだが、エレクトニック・トランペットのソロが面白いのと、冒頭とフィナーレが華やかに書かれているだけで、全体としては完成度が低い。

 実際こういうような曲を作って、音楽博士の称号を得る大学制度とは如何なるものであろう?技芸の能力と学問の能力が必ずしも一致しないことが明らかな以上、資格を授与する制度も別個のものの方が実状に適するであろうに、わが国の芸大などの制度もこういう方向に歩むのであろうか?大いに考える必要があると思う。

4月10日

■チータム講師のジャズ・クラス

 今日からジミー・チータム老黒人講師のジャズのクラスが開講され、午後2時30分より夜の10時まで、黒人音楽の歴史の講義、ジャズ・インプロビゼーションの実習、ジャズ合奏の3つのクラスに出席した。クラスの始めに、日本からの音楽家が出席するむね学生たち二紹介され、何か挨拶をといわれて面喰らう。そこで、過去においては、ヨーロッパのクラシック音楽が強い影響力をもって世界に流布していた。しかしこの様式は、今日では明らかに衰退しつつある。これに代わって強い影響を持ちつつある様式は、ジャズである。したがってこれからの音楽家は、すべてクラシックの様式とともにジャズの様式にも通暁していなければならない。そこで私は、このクラスにジャズを学びにきたと言うと盛んな拍手がきたので、何とかつたない英語も通じたかと、ホッとする。

 即興のシートミュージックをビートに乗せて順番にインプロバイズするやり方であるが、上手な者もいればそうでないのもいるという風で、格別なメソッドはないようだ。私も何とか2コーラスのアドリブを弾いて、チータム講師にウインクされる。夜の合奏は、コンサートを控えてレパートリーの総ざらいであったが、さすがによくスウィングするのには感心した。こにスウィングするリズムの秘密を把握するのが、ここでの私の重要な学習課題なのである。

4月22日

■バヒア・ホテルのジャム・セッション 

MEET ME WITH YOUR BLACK DRAWERS ON CD「Sweet Baby Blues」Jennie and Jimmy Cheathamより

 今日までアパートに越して来てから2週間と少ししか経っていないのに、とても多くの日数を経たように感じる。毎日毎日、次々と新しい出来ごとに会うためと思う。さて今日から毎週日曜日に、チータム夫妻の主宰するリゾート・ホテル、バヒアでのジャムの手伝いをすることになった。まあ、ミキシング・エンジニア兼バンドボーイというところ。3時半にチータム家を訪問し、楽器や機材を彼の大型フォードに積み込んで、フリーウェイを30分ドライブして、ヨットの白い帆を点々と浮かべた群青の砂浜に立つバヒアホテルに到着する。さっそくマイクや楽器をセットし、テストを済ませて チータムの奥さんのジェーンとコーヒーをすする。演奏の始まる6時までに、続々とセッションに参加するミュージシャンが楽器をさげて現れる。12人ほども集まったであろうか?ジェーンはシンガーだとは聞いていたが、何とピアノも担当するチータム・バンドのリーダーであったのには驚いた。ふだんは主人のジミーを立てているのに、演奏が始まると、ジミーや他の音楽家たちを指図して、女王のように振る舞っている。しかし白熱したセッションであった。

 今までジャズ・ビートは、2拍目と4拍目に裏拍にアクセントがあると信じていたのに、ここでは明白に1拍目ち3拍目の表拍にアクセントがある。前のりでも後のりでもなく、ジェーンはジャスト・ビートでカウントを刻んで行く。テーマ曲の『A列車で行こう』から、ジェーンの即興の歌詞によるスロー・ブルースまで45分間一息に演奏して休憩。休憩の間に様々なミュージシャンに次々と紹介され、握手また握手で挨拶をかわすが、とても名前を覚えることができない。今夕はサンディエゴから車で3時間の距離にあるパームスプリングスから、J.セブラというベーシストが遊びに来ていて、飛び入りで演奏した。実に 豊かな音。休憩時にいろいろと話をし、奥さんがふみこさんという日本人で、サクラという赤ん坊がおり、その昔、赤坂でプレイしていたことなどを知る。彼は日本のジャズマンあこがれのバークリー音楽院の出身で、ふだんはパームスプリングスのクラブにトリオで出演しているとのこと。暇を見て彼の家に宿泊し、彼のトリオを聴く約束をさせられる。フィナーレの『Meet me with your black drawers on』を最後に4ステージを終え、楽器の片ずけをして、襲い夕食をチータム夫妻と済ませ、自分の車に乗り換えてアパートに帰宅した時は、午前2時をまわっていた、

5月5日

■感動を伝える音楽

 静かな一日。テレビで『ウェストサイド・ストーリー』を見る。20年前と同じ感動が込み上げてきて、自然に涙が出る。この物語はシェークスピアからの現代版だし、音楽的にも格別の発見はないのであるが、それでも古典の列にならべられるようになったことは、紛れも無い事実である。芸術がどのような様式、どのようなあり方のものであるとしても、感動をつたえること、これだけが芸術の唯一の使命なはずだ。この点でこのカリフォルニア大学など音楽大学が支持する音楽は、歴史や技法や、構造を明らかにするけれども、感動を明らかにすることはない。むしろ音楽は知的認識の対象となり、音楽が本来的に要求する肉体の使用から切り離されてしまうとき、あるいは切実な成立の状況から切り離されてしまうとき、音楽は感動的であることを拒否するかのようだ。チータム・バンドの演奏するブルースは、日曜の夕べを一人で,或いは恋人と過ごす人びとの時間を満たし、喜びを、生きる悲しみを伝える。セッションに加わる音楽家は、みんな無報酬であり、ただ演奏する喜こびにひたり、自分の音楽を人びとと共有することの楽しみのためにのみ意義を見いだしている。

 愛や祈りなど聖なるものを自然と目指すように、頭と身体を毎日訓練すること。時代時代の衣装は異なろうとも、音楽の目指すものは、人の心を慰め、安らげることにあるであろうから・・・。

inserted by FC2 system