サンディエゴ日記

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中嶋恒雄

●教育音楽中高版(音楽之友社)昭和60.7--61.6月号より転載改訂

 私は、昭和58(1983)年度文部省在外研究員として、昭和59年3月21日より昭和60年1月20日まで、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校にヴィジティング・スカラーの資格において8ヶ月在籍し、その後、ウィーン、ローマ、パリに短期間滞在した。本稿は、その期間における私的な記録の抜粋である。

1984.6.16、ハリウッドボウルでのプレイボーイ・ジャズフェスティバル

左は、「cats」プログラムの裏表紙。右は,「dreamgirls」プログラムの裏表紙。

6月10日

■ニューヨークより帰宅

 午後7時。正午過ぎのダラス経由のアメリカン航空の便にて、ニューヨークよりサンディエゴのアパートにようやく帰宅する。まだまだ見残したところはたくさんあるけれども、もう十分という気持ち。この11日間のニューヨーク滞在中に、現代音楽のコンサートを8本、ミュージカルを4本、バレーを1本を鑑賞し、シンポジウムに出席し、メトロポリタン美術館に2日通った勘定になる。現代音楽祭に出品した41人の作曲家のうち、独のヘンツェ、仏のリセ、ブーレーズ、ポーランドのペンデレッキ、ギリシャのクセナキスなど世界的に名を知られた作曲家は、さすがに質の高い作品を書いていること、それらに準じて、仏のアミイや英のクヌッセンのような腕達者な作曲家がいること、日本からただ一人参加した湯浅譲二氏のような日本の第1級の作曲家は、世界の一流作曲家に伍してまったくひけをとらないこと、米国の作曲家は、クラムのようなストイックな作曲家を除いては、文化財団から助成金を引き出すのが上手なやり手が、作曲界を牛耳っているのではないかと推察されることなどが、『地平線1984』についての印象であった。

 今後の現代前衛音楽は、コンピューターの使用を中心に、伝統的な楽器の使用と、電子機器の結びつきがますます強められることだろう。しかし、ヨーロッパの生み出した西洋クラシック音楽の伝統は、すでに耳がとらえ得る複雑さの限度を超えてしまったために終焉を迎えつつある、という分子生物学などからの指摘は、ここでもそれが正しいことを証明したようである。これからの現代音楽は、新しい発見はなされないのであるから、ジャズのようなビート・リズムを持たない様式の範囲において、さまざまな民族音楽の様式を取り込みながら、作品の完成度を競いながら生き延びていくだろう。しかしちょうど万葉に対する新古今のように、多くの人を巻き込んで社会的なインパクトを与えるようなバイタリティは、決して再び持ことは無いように思える。他方ミュージカルはどうか。ミュージカルの音楽様式は、ポピュラー音楽によるオペラあるいはオペレッタと考えたらよい。ただしクラシックオペラの様式では、歌手は歌うだけで踊ることはないが、ミュージカルにおける歌手は、踊り手でもあること必須の条件である。踊りの様式は、クラッシックバレエ、タップダンス、モダンダンス、また最近ではアフリカンルーツのブレークダンスにいたるまで、さまざまな様式の混合で独自のものはない。

 同様に一口にポピュラー音楽の様式と言っても、2拍子や4拍子のリズムパターンを持ったクラシック音楽のスタイル、1930年代のスウィングジャズのスタイル、黒人の教会音楽であるゴスペルや、大衆音楽であるブルースとソウル、リズム&ブルースと白人の大衆音楽であるカントリー&ウェスタンの折衷から生まれたロックンロールを母とするさまざまなロックスタイルなど、さまざまなスタイルが渾然としている。このポピュラー音楽の系譜を音楽構造の上から明らかにすることは重要な仕事であるが、はっきりしていることは、黒人の音楽はリズム構造と歌唱法に独特な伝統をもち、白人の音楽はその和声構造と形式に優位性をもっていること。しかしポピュラー音楽の世界においては、音楽の最強の要素であるリズム構造に多くを委ねるために、白人の音楽はつねに黒人音楽に先行され、影響されて新しいスタイルをつくっていること、黒人は白人の和声や電気機器の利点を取り入れながらも、自分達の音楽的優位性を認識しながら、アイデンティティの確立に努力していることなどが見られるのである。この点から見ると、私の見た4本のミュージカルのうち、『コーラスライン』は白人のの音楽であり、特徴は個々のソロよりも文字どうりコーラスのハーモニー、全体の形式にある。他方『ドリームガールズ』は、ソロの圧倒的なシャウト唱法、思いビーとを持ったソウルなスタイルに特徴があり、出演者はすべて黒人歌手のみであった。日時にもよるのであろうが、『コーラスライン』のまばらで取り澄ました聴衆に比べ、『ドリームガールズ』の見せ場における満場総立ちで、口笛の飛び交うあの熱気を忘れることができない。もう2本は、『マイワン・アンド・オンリー』(『いとしき人』とでも訳せばよいか?)と『日曜はジョージと公園で』である。前者は、ガーシュインの旋律によるものであるから、よき時代の白人大衆音楽であり、後者は、きわめて前衛的な、レシタティーブ唱法の多い,ミヨーやストラヴィンスキーのような不協和音を持つ音楽であり、批評も、素晴らしいと言うものと、いつ打ち切りになるかと言うものの二つに分れた現代の白人音楽である。

 しかし私には、このような前衛音楽をミュージカルの中で使いうる米国の大衆音楽のレベルの高さを、わが日本の大衆の音楽レベルと比較するとき、暗たんとした気持ちにならざるをえない。ともかく多くの課題を認識させられた ニューヨークの11日間であった。

6月16日日

■ハリウッドの宿にて

 今日は朝9時にサンディエゴ州立大の日本人学生大竹君とアパートを飛び出し,ハリウッドボウルでの「プレイボーイ・ジャズフェスティバル」の初日を聴いて,ようやく宿に落ちついたところ。午後2時半に始まって今12時少し前だから、9時間近く公演が続けられたわけだ。いささか疲労した。出演バンドはリンダ・ホプキンス、ウェザー・リポート、ウディ・ハーマン、イエロー・ジャケット、BB・キング、ショーティ・ロジャース、メル・トーメと行ったそうそうたる顔ぶれの9団体で、明日はいまニューヨークで人気の高いティト・プエンテのラテンアンサンブル、カーメン・マクレエ、レイ・チャールズなど8団体が出演する。ハリウッドボウルは、山の傾斜を利用した雨の少ないカリフォルニアならではの野外劇場であるが、想像していたほど巨大なものではない。それでも2万人ぐらいは収容できるのだろうか?みんな家族づれ、友人づれで、大きなランチボックスや、飲み物、毛布持参でにぎやかにやっていた。この大勢の中で日本人はわれわれ2人と、どこかレコード会社のお偉がたでもあろうか、眼鏡をかけ、カメラと旅行カバンをさげた中年男性のたった3人であったのも愉快であった。もっともわれわれはラフなスタイルでいたから、彼にはわれわれが日本人かどうか分からなかったようだ。英語で席を尋ねてきたから。大竹君はすまして達者な英語で答えていたのが面白かった。

 ところでこれだけの音楽会にもかかわらず、PAのバランスの悪さには閉口した。ピアノが聞こえなかったり、サックスがオーバーだったり。しかし誰も文句も言わずに聞いているので、たまりかねて中央に大きな機器とともに陣どっているミキサーに文句を言いに行った。言うことを聞かれなくてもともとと思って幾つかの指摘をしたところ、立ちどころに『イエス・サー」と答えて修正したのには恐れ入った。日本でもそうだが米国においても、エンジニアーは音楽をよく分からないのだろう。PAミキサーは、オーケストラの指揮者と同じ耳と知識を持たなければ務まらないことを、どのくらいの人が認識しているだろうか?そう言えば、バヒアホテルに毎週やってくる録音マニアの白人が、チータムバンドを録音してジェニーに聞かせたところ、ジェニーはそのサウンドの良さに感心していた。私はそのとき、当たり前さ、機械は日本のソニー製でミキサーの私は、指揮者でシンセサイザー音楽の作曲家なのだからと威張ったのであったのだが・・・。さて音楽についてだが、私の考えたとうりここでま黒人勢のパワーは、白人勢を圧倒した。リンダ・ホプキンスの歌唱は、深い低域からシャウトの利いた高域まで実に力強いものであったし、イエロー・ジャケットやウェザー・リポートは白黒混合バンドだが、リーダーシップは黒人が握っている。またBB・キングは今まで一度も聞いたことがなかったが、その素朴なブルーススタイルと力強いブギウギビートに、満場が沸きに沸いて、多くの人が老いも若きも踊り出した。さあ、ここらで書くのをやめよう。明日もまた、沢山のプログラムがあるのだから。

地平線'84音楽祭のプログラム表紙
地平線'84音楽祭

のプログラム

 

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