作曲家戦後第1世代の交代
               中嶋恒雄

 このところ毎月のように大戦終了後すぐに若き旗手として活躍した作曲家たちの訃報が、次々に知らされる。林光、三木稔、少し年長だが別宮貞雄の諸氏たち。彼らが日本の作曲界に残した遺産は大きい。日本が明治以来経済的、文化的に営々と欧米に追いつくことに専念し、ようやく追いついたかと思われたのもつかの間、「Japan as number one」と云われると同時に高度成長期は終わり、失われた20年からさらに確実に衰退に向かいつつある現在、日本の作曲界も衰退に向かっているように思える。これらの世代が果たした役割は、概略的に云うならば、欧米の音楽文化に追いつくということであった。しかし彼らのうちの何人かが音楽の歴史の上に名を止め、彼らの役割を終えるとともに、日本の国家と同じように作曲界もまた、方向を見失ってしまった。人間が生きるということは、人間もまた動物である以上、動物たちと同じように厳しい。人間は万物の霊長であると私たちは考えているが、果たしてそうか。動物たちは仲間同士で喧嘩はするが殺し合うことはないし、他の動物を殺して食べるが、満腹すればそれ以上には殺さない。動物が恨みや嫉妬心や興味だけのために、仲間殺しをするということは決してない。前途を悲観して自殺することもない。人間が万物の霊長である所以は、大脳前頭葉に宿ると今日の脳科学が述べている。この大脳前頭葉の発達こそが、人間を人間たらしめているものであり、悪く働けば恨みや嫉妬心、その他もろもろのよこしまな欲望を生み出し、正しく働けば思いやりや、創造を生むのである。毎日の暗いニュースや果てしなき利己的な競争は、人間が動物以下に振る舞っていることを示さないだろうか。
 戦後10年ほどして出された有益な音楽書に、ポーランドに生まれ、フランスで活躍した作曲家、指揮者のルネ・レイボウィッツの書いた「音楽の進化ーバッハからシェーンベルクまで」(邦訳現代音楽への道)がある。この書のショパンの項目に興味深い1節がある。作曲の専門家とアマテュアという分類である。彼の定義はこうである。すなわちプロフェショナルな専門家は、音楽の新しい想念を表現できるような新しい音楽組織の創造を目指すのに対して、アマテュアは、既成の音楽組織、音楽の枠組みの中で旋律やリズムなどの部分的要素の発明を目指すと云うのである。ここではもちろん、金銭的、職業的な意味は含まない。この区分は、文学で云う純文学と大衆文学の区分以上に厳しい区分である。この基準によればショパンは、形式や和声上の新しい発明はないが、細部には魅力や創意が溢れているから、アマテュア以外の何者でもない。しかしアマテュアの中では、彼は天才だというのである。ところで近年の情報科学は、新しい音楽組織の創造はもはや生まれないと述べる。この理論によれば音楽の意味は、ある音楽的な出来事が次に来る音楽的な出来事を、聞き手に予想させるところに生まれるという。そこで聞き手の予想が全て当たるならば、情報量は低く意味のない、つまらないものになるし、予想が全て当たらないならば、情報量は高いがその意味を理解することが出来ない。それでも何とか理解しようと努力するとしても、人間のもつ情報許容量には自ずと限度があり、予想が全て外れるならば、かえって人はその音楽がでたらめだと感じて、聴くことを諦め、無視してしまう。1992年に死去したジョン・ケージのもたらした偶然性の音楽、不確定性の音楽は、このもっとも情報量の高い音楽であった。ここでは次に来るべき音楽的出来事を予想するとしても、その予想は全て裏切られる。しかしそれでも人がこの音楽から注意を逸らしたり、聴く事を諦めたりしないで聴き続けるとするならばどうなるか。例えば私たちが路傍の小さな花々や、青い空にぽっかりと浮かぶ雲を「いいなあ」と思ってみる時、私たちは次に起こるべき事を予想するであろうか。それらの花や雲がどのようであって、どこから来たのかなどと考えるであろうか。そのとき私たちは、ただ見るだけ、ただ眺めているだけで、それがどのようなのかとか、それがどうなって行くかなど、いっさい考えないでただ見とれている筈だ。道元の正法眼蔵の一節に次の言葉がある。「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり」。この言葉の真の意味を私は未だとても理解できないが、それでも道元が何を云おうとしたかの方向だけは少し分かる。私たちはふつう、自分が花を見ている、自分が雲を見ていると思って生きている。けれどもその自分というのは何なのか。ここでは自分と花、自分と雲がこちらとあちらに分かれ、対立している。しかし私たち音楽家はみな、かって一度はほんとうに音楽はいいなあと感動して、たとえ生活は成り立ちそうもないと分かってはいても、止むに止まれずにこの道に入った筈だ。そのときの感動を思い出してみて欲しい。私たちの心は音楽で満たされ、或は音楽の流れに乗って、自然に涙が溢れはしなかったか。そのとき演奏がどうだとか、旋律の展開がどうだとかは一切考えずに、私と音楽、音楽と私は一体であり、聴いているという自分自身のことなどは、全く忘れていた筈だ。ここで道元の云いたい事は、演奏がどうだとか、音楽がどのように展開するかなどの思いはすべて自分の思い、解釈であって、音楽そのものではないと云うことなのだ。さらに云えば、音楽を聴くこの自分というものそれ自体が、観念の枠であって実体ではないというのだ。だから道元は、見ようとしないで見よ、聴こうとしないで聴け、考えようとしないで考えろと云っているのである。私たちは音楽を聴くとき、ミスはないか、フレーズがレガートに歌われているか、構成は明確かなどなど、つねに批判的に聴いている。これでは感動などということは決して生まれない。私たちは音楽を専門にするようになってからは、自分の受けた音楽教育や経験によって、つねに自分よりも優れた演奏や作品を聴けば、劣等感や絶望感を感じ、自分よりも劣った演奏や作品を聴けば、優越感や軽蔑を感じながら音楽を聴いている。しかし道元が云っている事は、それらは全て自分という考え方の枠による解釈であり、夢であり、ほんとうの実体では決してないということなのだ。ジョン・ケージは自分の音楽は禅の思想がなかったら生まれなかったと述べたそうだが、私たちが彼の音楽を聴くとき、この道元の示唆のように聴かないならば、彼の不確定性の音楽からは何の意味も見出せない。ジョン・ケージはシェーンベルクに習っていたときに「君は和声感覚を身に着けなければいけない」と諭されたというが、ケージはそこから彼自身の道を見つけ、私たちが音楽を聴くその聴き方それ自体について、警鐘を鳴らす音楽を作ったのであろう。
 さて、音楽が情報科学の述べるように新しい音楽組織の創造を生まないとするならば、私たちはそれを受け入れよう。それならばレイボウィッツの云うように、全ての音楽家がアマテュアということだ。優秀な作曲家で指揮者としても活躍したピエール・ブーレーズは、ケージは作曲のアマテュアでプロフェショナリズムに届いていないと云ったそうだ。しかし作曲家のモートン・フェルドマンは、「ブーレーズはケージもアイヴズも私もアマテュアだと批判する。ところがバルトークの語法をいまだに遵守しているブダペストの作曲家を、彼はプロだと称えている」と云ったという。要するにみんな自分自分の立場で、絶対的な基準もなく物を言っているだけだ。ケージたちがアマテュアならば、ブーレーズは腕の良い職人に過ぎまい。ケージの生活はかなり大変だったようだ。彼は自分で発見し、創造するのが芸術教育だと考えていたから、人を教えることで生活の足しにする事はなかった。また彼の音楽は職人芸を必要としなかったから、職人芸を売ることは出来ず、生計を立てるのは余計に難しかっただろう。しかしそれでも彼は、生を全うした。ところで私は今、本年11月に多摩美術大学で開催される予定の佐藤慶次郎回顧展のために、彼の残した厖大な資料に埋もれて、彼の生涯を展望しようと格闘している。彼のことは多くの人が知らないであろう。彼は本会代表の助川敏弥氏が1位のときの1954年の毎日コンクールで2位に入賞し、翌1955年に実験工房演奏会で武満徹、湯浅譲二らとともにピアノ曲と器楽曲を発表した。そして1961年に「ピアノのためのカリグラフィー」という曲で米国の批評家ヒューエル・タークイをして「これはとてつもない曲だ。私は他の曲でこれと似ている曲を全く知らない」と言わしめ、その年ウィーンで開催されたIMC世界音楽祭に入選した。しかし以後は、3曲の弦楽器のためのカリグラフィーを発表し、1970年の大阪万博で音響システム全体の制作をしただけで作曲することを中止した。そして今度は全く新しい概念を持つエレクトリック・オブジェを作って、音楽の世界から美術の世界へと去って行った。思うに彼は、カリグラフィーでレイボウィッツの云うプロの仕事をした後は、アマテュアとして音楽の仕事をし続ける事に興味を持てなかったのだと思う。そこで彼は新しい美術の分野で、岐阜県美術館やセビリア万国博覧会などのためにプロの仕事をした。しかしそこでも彼は、自分の語法を確立した後は家に籠ったまま、仏教の研究三昧に明け暮れて3年前に世を去った。私は彼に18歳から半世紀以上も親しく接して、多くの教えを得てきた。禅の分野で見性という事実がある。これは先に述べた自分という自我の枠が無くなって、対象と一体になる体験を言うのであるが、佐藤はジョン・ケージの演奏を聴いているときに、まさにこの体験をした。以後彼は、ジョン・ケージの音楽を聴いて得た体験が禅で得る見性体験と同じものかどうかを確かめるために、禅の師匠のもとで座禅修行をし、研究を重ねた。結果彼は見性から16年後に、禅で云う大悟徹底という体験的な段階にまで到達した。私が彼から学んだ事は、作曲でも何でも、自分の仕事を一生懸命にやれ。何事にも集中して余計な事は考えずに取り組めば、そこでは自ずから座禅と同じような心の澄みきった静慮(じょうりょ)が生まれて、自我が消えて行く。そうすれば君は対象と一体(一如と言う)になり、対象は君となり、その対象は君の修行に応じて無限に深められると云うのである。もしこの境地にまで集中を進めながら私たちが作曲し、演奏をするならば、それは自ずと深まりに達した他の人には通じて行くことだろう。まるでモーツァルトが弾いているかのような演奏や、まるで自然が作り出したかのような作品、という感覚である。新しい音楽組織の創造や、新しい演奏解釈というものは科学の進歩と同じで、道元の云う迷いである。もちろんこれも真実である。しかし新しい音楽組織の創造や、新しい演奏解釈は、珍しく、新奇ではあるとしても、それが直接に人を感動させることはない。しかし私たちが求めているものは、感動であり、自分らしくありたい、自分自身でありたいという心の納得だ。禅は迷いつつ悟り、悟りつつ迷うとも云う。佐藤も純粋な生命力の表現という彼の音楽や美術のあり様のために、厖大な数学的、物理的な考察という迷いを重ねた。しかし彼が戦った敵は外にあったのではなく、つねに内なる彼自身の中にあったのであろうことは明らかである。彼のオブジェはまったく静かである。裏に電磁気の仕掛けがひそんでいる事など、見る者にはまったく気を付かせない。そして私たちを静寂と、この世の存在への無限の不思議さの中へと誘ってくれる。私たち音楽をする者は誰でも、それぞれの置かれた条件のままに自分の小さな我を無くし、無心に音楽をする求道の道にいると思う。ここではレイボウィッツの云う意味においても、平たい意味においてもプロもアマもなく、等しくみな永遠の音楽求道者である。そしてこのように音楽をするならば、私たちの大脳前頭葉は自ずと正しく働いている。佐藤の禅の師匠は「仏道は修行すればするほど身につく。身につけば身につくほどまだだめだと思う。そうしてまた修行する。この繰り返しだよ」と彼に教えたという。私たちの音楽の道もまた、まさしくこれと同じなのだとしみじみ思う此の頃である。
(「音楽の世界」日本音楽舞踊会議刊 2012・3月号)

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